『stars we chase』の歌詞和訳と解釈 ~星の在りか~

 

ミアの曲のこの英語ってどういう意味なんだろう?

そう思って歌詞カードの日本語の歌詞を見たのに、英語の意味がさっぱり読み取れない。

そんな経験したことありませんか?

 

これは『stars we chase』に限らず、『Toy doll』や『I'm still…』でもよく起こる事件です。

そして、それは理解できない人が悪いのではなく、日本語の歌詞に問題があるために起こってしまう悲劇です。

 

断言します。ミアの曲において日本語の歌詞と英語の歌詞は別物です。

僕がそう言い切る根拠は主に2つあります。

 

一つ目は、日本語の歌詞には英語の歌詞では表現していない言葉が多く記されていることです。

 

わかりやすいのは2番Aメロ

Honesty was gone to say the least

公式の和訳:僕らはそれを素直に言えなかったね

 

英語の歌詞では

“Honesty” (=素直な気持ち) を主語にして

“was gone” (=どこかにいってしまった) というように表現し、

最後に“to say the least" (=控えめに言ってもね) とつけ加えています。

 

これに対して、日本語の歌詞では

「僕ら」という登場人物がから登場し、

「それ」という指示語がいきなり登場し、

「素直に」という副詞的表現に変化して、

「言う」という動詞が全然違う意味で用いられているのです。

 

日本語の歌詞と英語の歌詞の持つ意味が全く違うものだということが分かっていただけたでしょうか。

 

 

そしてもう一つの根拠は音楽のリズムと日本語の歌詞のリズムのズレです。

 

一番顕著なのはAメロの後半

when did it happen? Turned away my face

公式の和訳:ねぇ、見ないフリをしたのはいつだっけ

 

“when did it happen?”という疑問を最初に投げかけ、

それに“Turned away my face”と中身を補足する。

この流れ・リズム感こそがこのパートの持ち味です。

 

それに対して日本語の歌詞カードでは、

見ないフリしたのは→いつだっけ

という真逆のリズムで言葉が綴られています。

 

英語の歌詞は曲に乗せて歌う前提であるのに対して、

日本語の歌詞は曲に合わせて歌われることを目的としていません。

そのため、日本語の歌詞はどうしても曲のリズムに合わない文章になってしまっています。

 

以上の理由から、僕は英語と日本語の歌詞はやはり別物だと感じる訳です。

日本語の歌詞を通して『stars we chase』を楽しむことを否定するつもりはありません。

ですが、楽曲として“stars we chase”を楽しむには英語のリズムのままに英語のままの意味が入ってくるのが一番大事なことだと思うのです。

 

何よりこんな日本語を使っているせいで、ライブで内田秀さんが英語で表現する歌が伝わりきらない、秀ちゃんがいろんな気持ちを込めて歌ってくれた言葉が客席に届かない、そんな悲しいことはあってはならないのです。

 

なので、英語が苦手な日本人にも、英語の歌詞で綴られた言葉とリズム感が出来るだけ伝わるよう、僕の翻訳・解釈を書いていきたいと思います。

 

だいぶ長くなりましたが、よければ最後まで読んでいってください。

 

 

I used to look above at stars, and chase

ボクは昔いつも星を見上げて追いかけていたんだ

『stars we chase』のAメロは、聞き手を歌い手の世界に誘うように、

I used to 〜

=「昔のボクはいつも〜していたんだよ」

という歌詞から始まるのが特徴的です。

 

英語でのused toという表現は「昔はずっとそうだった」けど、「今はそうじゃない」という意味が込められている表現です。

あくまでも過去の状態について現在と対比しながら表現した言葉が“used to”であり、「好きだった」のような感情を表す言葉でないことはお気をつけ下さい。

 

また、look aboveという表現には、同じ「見上げる」という表現の“look up”よりも一段上の何かを見るというニュアンスがあります。

"above"は本当にただ星を見ているんじゃなくて、星の向こう側にある何かを見つめている。そんなイメージです。

 

 

Never had to doubt what I could take

何を掴めるかなんて考えもしなかったんだ

ここのhave tofind it necessary to do the specified thing (〜する必要がある)の意味。

never have to doubtで「一度も疑う必要がなかった」、自然な日本語に直すなら「考えもしなかった」になると思います。

 

ここで登場するcouldは仮定法のような使い方で、「もし僕が何かを掴めるとして、一体何が掴めるのだろうか。いや、そもそも一体何か掴めるなんて確証がどこにあるのだろうか」くらいの意味で、こういうモヤモヤした推論をcouldという1つの助動詞で表しているわけです。

 

幼い頃の彼女は純粋無垢にひたすらに星を追い求めるような女の子だったわけで、

「あのね、わたしはスターになりたいの!」

と言うかの如きあどけなさが伝わってくる一節です。

 

Now I’ve found it’s further than it seemed

でも意外と遠いものなんだと気づいてしまったんだ

昔はこうだったけど(used to)、でも今は〜(Now I've)

と、これまでの歌詞に逆接的に繋がるのがこの三節目の歌詞です。

 

ここで気にしたいのがI've found (that ~) というフレーズ。

現在完了形の表現なので「もう〇〇に気づいた」という意味になりますが、より歌い手の心情に近づけるならば、「〇〇に気づいてしまった」というネガティブな日本語がすっきり収まります。

 

また、that節中にあるitは具体的に何かを指す指示語じゃなくて"It's sunny today"のような形式的な主語としてのitの用法です。

なので、it's further than it seemedは、主語を曖昧にしたまま「意外と遠いもの」と訳すのが適当。

 

 

ここのAメロ最初の3つの節は

"I used to look above at"

"Never had to doubt what"

"Now I've found it's further"

というように、used to → now,  never had to doubt → have found といった話の流れを作る単語が最初の1小節に固められています。

日本語だと、

「昔はね、」

「全然考えなかったんだよ、」

「でも今はね、」

というように、どこか歌い手の感情が溢れ出すような、そんな言葉から歌が始まるのです。

そして最初に感情が強くこもっているからこそ、

“at stars and chase”

“what I could take”

“than it seemed”

といった、あとに続く言葉から、どこか哀愁のようなものを感じ取れるのです。

無理矢理日本語にするなら、

「昔はね」「星を追いかけてたんだ」

「全然考えもしなくて」「何をつかみ取れるかなんてさ」

「でも気づいちゃったんだ」「思ってたより遠いってさ」

って言うような、どこか詩的な語り口調で表現されているのです。

 

The light gets smaller, my eyes to a closure

光は弱くなって、目は閉じていってしまった

そんな詩的な言葉から音楽に引き戻す様に、一気にリズム感が増すのがこのパート

“light”と“eyes”の高音が本当に気持ちいいです…

 

この“the light”という表現については少し考察することがあるので、良ければ文末の考察パートを読んでいってください。

 

When did it happen? Turned away my face

When did it happen? Pain increasing

ねぇ、いつからだっけ?顔を背ける様になったのは

いつからだっけ?痛みが増してくる様になったのは

言葉のリズム感については冒頭に述べた通り。

先の“the light” “my eyes”という高音パートから、“when did it happen?”と繋がるのが本当に心地いい。

 

ここのwhen did it happen?というのは、Aメロ前半で昔は〇〇だったけど今は〜という話の流れがあって、「ねぇ、いつなの?」といった風に、流れを断ち切って意識を向け直す言葉です。

「いつからだっけ、ねぇ、いつからだっけ」という表現に強く感情が溢れ出ているからこそ、when did it happen?と言う言葉が先に出て、後にその補足がくるのです。

 

Shadow walk and dealing, truth inside revealing

Still, a part of me’s seeking that feeling

暗闇を彷徨う中で、真実は教えてくれたんだ

それでもボクはどこかあの時の気持ちを探しているって

前半はスクールアイドルになるまでのミアの振る舞いを表したかなようなパート。

真っ暗な道を彷徨ってるように見えたけど、そんな中にも「本当の気持ち」があったんだ。そんなイメージ。

正直和訳に自信がない

 

そして次のstillはとても大事なフレーズ。

よく「まだ」と訳されるこの副詞ですが、この場合は否定の意味を込めて「それでも」と訳すのが適切だと思っています。

 

見てみぬふりをするってことは、もう昔のことは全て諦めてしまったの?

いいや、それでもボクはまだあの気持ちを忘れられないんだよ。

 

歌い手のこんな気持ちが“still”という言葉に込められていると思います。

『I'm still…』はこうしたミアの複雑な心情を一曲を通して描いている曲だったので、この“still”という言葉からどこかスクスタの世界に居たミアを思い出してグッとくるものがあります…

 

 

Dreams in the sound I made for you

Go ’round, come returning through me

キミに贈った音楽に載せたボクの夢は 

周り巡って ボクの中に戻ってきたんだ

 

夢が巡り巡って自分の元に戻ってくる、そんな情景を表す言葉としてここではcome through me という表現を使います。

to meじゃなくてこのthrough meと表現するのは、それが内側まで深く刺さっているような感覚を表現したいのかなと思います。

 

最初は無意識的に音楽に込めた夢だったけど、周り巡って、今ようやくその曲に込めた自分の真意に本当の意味で気づいたんだ。

そんな気持ちを表す表現なのではないかと思います。

 

ちなみに、dreams という言葉については最後に少し考察を付け加えています。よければそちらも是非ご一読を。

 

Where this light shines so bright, you showed

この光がこんなにも輝けるところを教えてくれたのは キミなんだよ

ここで登場するsoという単語。めちゃくちゃいい…

英英辞典では“to such a great extent”と説明されています。soはvery とは違って、聞き手が理解できる程度を示して“such”「こんなに」「そんなに」の意味を持ちます。

 

日本語でも

「僕がこんなに輝けるのは君のおかげなんだよ」

という時の「こんなに」と言う言葉には、その瞬間の自分がとても輝いている、聞き手もそれを分かってくれるという自覚が前提にあるわけですよね。

 

このsoのエモさが分かりますか!!!???

 

ミアはずっとずっと歌うことから目を背けて、卑屈な態度をとって、「それでいいじゃないか」と自分に言い聞かせてきたのです。他人からの視点ばかり気にして、自分自身に向き合うことなく生きてきた、そんな女の子なんです。

未だに人前で歌うのが怖くて、ステージに立つ時には震えそうになるけど、それでも今この歌っている瞬間のミアは自分自身に向き合って、自分自身を曝け出して、それが凄く輝いているとミア自身が認識していて、だからこそso brightという言葉が出てくるのです。

 

うん、誰よりも輝いてるよ…ミア…

 

 

さて、話を戻しましょう。

Bメロを聴いていると、人を表す単語が印象的だなと思います

“Dreams in the sound I made for you

“go'round come returning through me

“where this light shines so bright, you showed

日本語だと

〇〇なんだ、君にね

〇〇なんだ、僕の元に

〇〇なのは、君なんだよ

と言う感じで、人を文末に持ってくることでリズム感が作られています。

 

ここのパートは全て最後のyou showedにつなげるための布石で、

「キミにね」

「ボクの元にね」

でも、ボクがこんなに輝けるのは、誰のおかげかっていえば、もちろん、「キミなんだよ」

そういう言葉の組み方をしているわけですね。

 

サビに向かって音楽が盛り上がっていくとともに、歌詞もぐんぐん盛り上がっていって、最後の“you showed”でクライマックスに入っていく。ここはそういうアツい歌詞です。

 

It’s back and now

戻ってきたんだ、さあ、

このnowは「今」の意味はなくて、「今から〇〇しようよ」「今でしょ!」のような、聴き手の意識を促すための言葉です。

自然な日本語に訳すなら「ほら!」とか「さあ!」のような意味です。

 

 

 

Take your hand out, we can reach

手を伸ばそうよ、きっと手は届くよ

ここで初めてweという単語が使われます。

ミアが自分のことを振り返っていた歌詞から、ミアが聞き手に語り聞かせる歌詞に変わり、そしてサビではミアが聞き手に呼びかける形の歌詞に置き換わります。

 

Always been there to be freed

いつもずっとそこにあって、解き放たれようとしていたんだ

現在完了形の文章は「いままでずっと」の意味をもつ文章です。

いま・その瞬間の出来事じゃなくて、これまでもずっとそうだった、の意味をもつ用法で、alwaysを使ってそのことを強調しています。

to be freed は未来へ向かっていくイメージの"to"と「自由にする」という動詞の“free”を使って、解き放たれようとしている、くらいの感覚。

 

It’s getting loud, on to a scream

どんどん大きくなって、叫び声になっていくんだ

日本語の歌詞では「本当の想い」と「内なる声」という主語を持ってきていますが、本来はAメロの3つ目の歌詞に出てきた"It's further"と同様の形式主語のitです。

(いったいどこからその日本語でてきたんですか?)

また、on to a screamというのは scream にくっつく、screamと一緒に外に出ていく、そんな感覚ですが、それを日本語では「叫び声になる」と言いますよね。

 

サビの特徴は

“take your hand out” → “we can reach”

“Always been there” → “to be freed”

“It's getting loud” → “on to a scream”

というように

今のこと → 未来のこと

という言葉の流れができていることです。

 

英語的な表現が多いので日本語でこの感覚を表現するのは難しいけど、

手を伸ばしたら、きっと届くよ

そこにあって、解き放たれようとしているよ

どんどん大きくなって、声になるんだよ

という感じでしょうか。

 

We’re starting this brighter tomorrow

一緒に始めるんだ より輝かしい明日に向けて

Try this

やってみようよ

Every color shown, bright in the star

色んな色を放ちながら、あの星の中で輝いているんだ

From here we can find

ここからきっと見つけられるよ

Letting us shine

僕たちを輝かせてくれるからね

 

日本語だと主語が「あの星」になってますが、英語だと本来主語は明示されていません。

 

Don’t hide your brightness

その輝きを隠さないで

とっても良いフレーズ。大好き。stars we chaseの全てが詰まってる。

 

your brightnessはミアがランジュと接する中で感じ取ったランジュ自身が持つの魅力や個性のようなもの。

それを「同好会のようにはなれないから」という理由で諦めてしまいそうになっていたランジュに対して、Don't hideと強く主張していくのが本当にカッコいいです😭

 

 

Approval of someone to feel complete

“完璧”でいられるための賞賛も

Honesty was gone to say the least

完全に忘れてしまった素直な気持ちも

Many things about us are the same

色んなところで僕たちは一緒なんだ

The distance for us is hard to decipher

ボクたちの距離は分かりづらいよ

decipherは推理や謎を「読み解く」みたいなニュアンスの「解る」の意味です。

ランジュとの距離感を探り探り接してきたミアのことを考えるととっても可愛いよね。だって14歳だもんね。

 

2番Aメロの特徴は

Approval of〜”

Honesty was〜”

Many things about〜”

The distance for us〜”

というように、人を主語にしないままで

名詞→その説明

という流れで文を構成しているところです。

 

ずっと“I”が主語だった1番とは打って変わって、どこか無機質な、一歩引いたような感覚が感じられます。

 

ちなみにこの2番Aメロ前半は歌詞カードに書かれた日本語がとっても綺麗なので、もしまだ見たことない人がいたら是非手元にとって読んでみてください。

 

 

Why did it happen? I’ve imagined your face

Thinking about this lonely feeling

どうしてだろう?キミの顔が忘れられないんだ

この寂しい気持ちを感じるとね

まずはI've imaginedの訳について

現在完了系での表現なので「ずっと思い浮かばれる」くらいの意味。誰かのことが頭に留まり続ける状態は「忘れられない」というのがシンプルかと。

 

thinking about ~というのは典型的な分詞構文ですが、典型的だからこそ訳すのが難しい。

「この寂しい気持ちを感じると→キミの顔が忘れられない」

なのか、

「キミの顔が忘れられなくて→この寂しい気持ちが思い浮かばれる」

なのかは僕には断言できないです。

一応歌詞カード通りに前者で訳しましたが、語順的には後者の方が意味として通りやすい気がします。

どっちが正しいニュアンスか誰か教えてください

 

Standing still exceeding, urge and drive increasing

立っているのはもう十分だ、この気持ちがどんどん強くなっていくよ

urgeは「衝動」、driveは車の運転…ではなくて「動力」「駆動するエネルギー」くらいの意味でしょう。

自分の意識的にも、無意識の中でも、動かなきゃ!という気持ちが湧き上がってくるようなイメージ。

うまい日本語が全然思い浮かばなかったので「この気持ち」と一つにして訳しました。許せ。もう僕の英語力の限界なんだ。

 

I’ve gotta be by you and speaking

君のそばに行って話さなくちゃ

日本語の歌詞だと「早く君に伝えないと」というようにbe by youの箇所が丸々抜けていますが、個人的には大事にしたい言葉。

 

2番のAメロはミアとランジュの類似点と「似たもの同士なのに心の距離が掴めない」苦悩を歌い上げた歌詞です。だから distancelonely, standingdriveのような「距離感」や「動き」に関する単語がいっぱい登場するわけです。

そのような言葉を受けた“be by you”という歌詞は、ミアがランジュのそばに行きたい、2人の距離感を縮めたい、そんな意味が込められているように思います。

 

今まで距離感が掴めなくてどうしようか分かんなかったけど、それでも理屈は抜きに、どうしてもボクはランジュの側に行きたいんだ。

 

そんなミアの素直な気持ちが垣間見える歌詞なのです。

なんでそこ端折っちゃったんですか???

 

 

 

A little time has been taken

I find it was time we needed

少し時間はかかったけれど

この時間は必要な時間だったんだ

When our minds are aligned, we know

ボクたちの想いが1つになったとき、ほら

we knowは「ボクたちは知ってる」じゃなくて「ほら」「ね?」みたいな相手を促すワンフレーズです。

 

minds are alignedは「心が揃う」という表現ですが、意訳すれば「想いが1つになる」でいいかなぁと。

ラブライブはこう言う日本語好きだもんね

 

That star’s in view

あの星が見えるよ

that をðætの発音で言っていることから、関係代名詞じゃなくて「あの」の意味のthatですね。

 

is in viewという表現もとても良い。

ひとえに「星が見える」と言っても、ただ見えるんじゃなくて、これまで見えなかった星が、ふと気づいた瞬間に見えるようになっている。そんなイメージの「星が見える」という言葉です。

 

 

Let’s restart it, you and me

一緒にもう一回始めようよ 君とボクとで

Walking on our new story

新しい物語を始めようよ

I feel your voice, my melodies

キミの歌声が、ボクの音楽になるよ

カンマ()を無視してしまうとただ「あなたの声と私の音楽を感じる」なのですが、カンマ(,)があるということはこの歌詞は2つの意味から構成される文章なわけです。

最も簡単に理解するなら beingを間に入れてあげて

I feel your voice, (being) my melodies

=「あなたの声が私の音楽になるのを感じる」

と訳すのがいいと思います。

 

正直原曲を聞いていてこんなに頭が回るわけないので

your voice → my melodies

という流れがあることを感じ取れたら十分だと思います。

 

Don’t worry when struggling to follow

気にしないで どんな分からないことがあっても

Find this

見つけに行こうよ

Allow this

やってみようよ

 

 

日本語だとどっちも「〇〇してみる」の意味のtryallowですが、tryは新しいものを1から自分のものにしていくのに対して、allowは既にあったものを縛り付けないで解き放っていく、そんなニュアンスであるように思います。

 

これまでのミアやランジュの態度というのは色んなものが“not allowed”なストイックな生き様でした。

ミアにとっては「スクールアイドル活動をすること」や「他人から求められていない曲を作ること」だったり、ランジュなら「他の人と一緒にいること」だったりしたわけです。

 

でも、同好会はどんな人も受け入れてくれる。どんな自分も受け入れてくれる。

 

そんな自分を縛り付けてきたことから自分を解き放って欲しい、一緒に同好会に入ろうよ、そんな意味がこのallow thisに込められているのではないでしょうか。

 

 

 

Take your hand out, we can reach
Always been there to be freed
It’s getting loud, on to a scream
We’re starting this brighter tomorrow
Try this
Every color shown, bright in the star
From here we can find
Letting us shine
Don’t hide your brightness

 

最後に一番と同じ歌詞を歌い上げておわりです。

 

 

論点と解釈

『stars we chase』という曲の英語表現について日本人が理解に躓きそうな個所を中心に追ってきました。これまではできるだけ議論の余地がないように言葉の意味をとってきましたが、最後に少しだけ色んな解釈ができる箇所についての僕の考察を述べて終わろうと思います。

 
・この曲は誰に向けた曲なのか

この曲は1番のBメロからは"you"や"we"のような、聞き手の存在が登場します。

アニメの文脈を踏まえると鐘嵐殊が"you"に当たるというのはすぐにわかるのですが、果たしてこの曲は本当にランジュだけに向けた曲なのでしょうか。

 

よくよく考えてみると必ずしも"you"がランジュ一人である必要はないんですよね。

 

例えばサビの

Take your hand out, we can reach

Always been there to be freed

It’s getting loud, on to a scream

We’re starting this brighter tomorrow 

の箇所は、ミアと同じ夢を追いかけられるどんな聴き手が"you"であっても成立する歌詞です。例えば「昔の自分」のような存在を"you"とった時にどんな意味になるのか考えるのも面白いと思います。

『I'm still…』なんかはまさに昔の自分に向けた曲ですし、どう言う表現の違いをしているかなと考えながら聴くのも楽しいです。

 

・“the light”の指すものは?

1番Aメロ前半パートの最後にて、"the light"ということばが出てきました。

日本には存在しないこの定冠詞"the"ですが、この“the”はそれが特定可能な事物であること示すために付けられるものです。

なので、"the light"と言うからには必ず聞き手の頭の中にある"light"のことを指しています。

 

幼い頃よく星を見上げて追いかけていた

純粋にただひたすら追いかけていたけど、

今やその星が遠いものだと知ってしまった

 

ここまでの流れで登場する“the light”といわれたら、星が放つ光、或いは星に喩えられた夢や願いのキラめき、そういったものを指す…

 

と考えるのが早いのですが、もう少し解釈の余地があると思います。

これまでの表現の中で登場した"light"は本当に星の輝きだけだったでしょうか。

星を追いかける少女の心の中にも"light"はあるんじゃないでしょうか。

夢を純心に追いかけている少女が放つ輝き、きらめき、そういうものを指して"the light"と言っている。そういう解釈の方が自然なように思います。

 

 

・“Dreams”とは何か

1番Bメロの最初の歌詞にて、

"Dreams in the sound I made for you"

という表現が出てきました。。

 

特にこの“dreams”という言葉。『dream with you』や『colorful dreams, colorful smiles』にも使われているように、dreamという言葉はニジガクにおいてとても大切なワードです。

 

そして、ここで何より注目したいのがdream“s”という複数形である点です。a dream や the dreamではなく、dreamsであるのはなぜか。

最初は一般的な感覚として「夢」って沢山あるものだから、そういう多様性を加味した表現なのかと思っていました。

でも、Dreams in “the” soundという特定が後でなされているんですよね。

それで、これも僕の解釈なのですが、“Dreams in the sound”というのは、ミアの心の二面性を含意した表現なのではないかと思うのです。

 

ミアが劇中で語った夢や願いは2つあります。

1つは

「ランジュを通して自分の曲を広めたい」

これは作曲者としてのミアの夢です。

 

そしてもう1つは

「歌いたい、歌いたいんだ」

という台詞に表れた、自身でステージに立って歌いたいという幼い頃から抱き続けたミアの夢です。

 

これがもし単数系の“dream”だとしたら解釈に困るのですが、“dreams”という表現の意味するところは、ランジュに送った曲にはミアの中の色んな願いを込められた曲であったのだということです。

 

Aメロの最後に

"shadow walk and dealing, truth inside revealing"

というフレーズがありました。日本語の歌詞だとちょうど省略されていたフレーズですが、"truth inside"=「内側にある真実」って単語って、この時に説明なくいきなり登場するわけです。

 

先に抽象的な説明を行って、その具体的な情景を説明する、というのは英語の常套手段です。

そう、"Dreams in the sound"から始まるBメロの歌詞は、直前のAメロの歌詞を説明する情景として読み取れるんじゃないかと思います。

ミアの作曲家としてのふるまいは、「誰かに求められる曲を作れば、それでいいじゃないか」という発言があったように、どこか信念がなく揺らいでいるようなものでした。

まさに"shadow walk and dealing"な状態です。

 

でも、ミアは求められるものをただ作っている作曲家ではありませんでした。自分で歌いたい、自分の想いを伝えたい、そんな気持ちが表出したのが2期9話でランジュに向けて作った曲でした。

ミアは自分でも気づいていませんでしたが、ランジュに向けて作った曲には幼いころから抱き続けてきた夢を込め続けていたのです。それが"truth inside"の表すところではないでしょうか。

これは完全に行き過ぎた解釈だという自覚はあるのですが、ランジュの曲の中で日本語と中国語以外に何度も英語が登場するのは、ランジュの曲にはランジュの想いだけでなくミアの想いが込められているからなのかなと思ってます。ランジュとミアの想いが重なることばが英語で表現され、ランジュの想いが強く表出したのが中国語の歌詞なのではないでしょうか。

 

これら2つの立場の願いが込められているからこそ、Dreamsという表現になっているんじゃないかと考えました。

 

・『stars we chase』のタイトルに込められた意味

『stars we chase』というタイトルに出てくる"stars"というのは、いったい何を表しているものだと思いますか?

 

いや、最初の歌詞に"used to look above at stars and chase"と言っていたんだから、ミアが幼いころから追い求めていた夢やゴールのことじゃないの?

 

そんなことを言う人も少なくないかもしれません。

 

でも、この曲を読み解くと、それ以外の解釈もありだなと思えてきます。

 

まずこの『stars we chase』の日本語訳から考えていきましょう。

僕はずっと"chase"を「追いかける」と訳してきました。

日本人が持つ「チェイス」という言葉は、映画で警察がパトカーに乗って犯人を追いかけるカーチェイスのイメージだと思います。

でも、英語の"chase"はカーチェイスのような追いかけっこを意味するのではなく、"persue"や"seek"と同じく「追い求める」「探し求める」という意味をもつ言葉です。

『stars we chase』というタイトルを日本語に直すなら「僕たちが探し求めた星」になるのです。

 


ここで、Aメロの歌詞に戻ってみましょうか。

ミアは最初

“I used to look above at stars and chase”

と歌いました。

“used to”と言う単語は、暗に「今はそうじゃない」というための言葉であることは先に述べた通りです。

しかし、そうであるならば、"I used to chase"と歌うこの歌詞は今のミアは星を追いかけていないことを暗に意味すると取ることもできるのではないでしょうか。

つまり、幼い頃のミアが見上げて追いかけていた星と全く同じ星を、今のミアは追いかけていないという解釈も可能です。

 

 

また、サビではミアはランジュに語りかけるように次のように歌い上げます。

"we're starting this brighter tommorow"

“try this

"find this"

"allow this"

“this”と言うからにはミアとランジュの中では理解できるもの、ミアとランジュの手元にあるものを指しているわけです。

一体この"this"というのは何を指しているのでしょうか。

 

そして最後の論点にいきましょう。

Aメロの3つ目に

“I've found it's further than it seems"

という表現がありました。これはミアが幼いころに追いかけていた星の遠さについて語る言葉です。

にもかかわらず、どうしてサビでは

“bright in the star”

と言うのでしょうか。遠い存在を表す英語には“that”があります。遠いと分かっている星のことを表すのに“that”を使わないのは不自然だと思いませんか。

 

僕の言いたいことはもう分かっていただけたでしょうか。

『stars we chase』の表すstarsはもうミアとランジュの中に既に在るのです。

決して届かない存在としての星ではなく、すぐそばにある星として。

輝き、キラメキ、トキメキ。そんな夢を追いかける少女の純粋な気持ちこそが実は"stars"だった。その星は常に自分の中にこそあったんだ。そんな解釈もありじゃないかと思います。

『stars we chase』でミアがランジュに伝えたかったことは、

追い求めていた星はすぐそこにある(Always been there)から、それを見つけてあげようよ(find this)、それを解き放ってあげようよ(allow this)

そういうメッセージだったのかもしれません。

 

ちなみに、さらに解釈を深めるなら、9話の『The Sky I can't Reach』というタイトルの意味も見えてくる気がします。

9話はミアがスクールアイドルになって夢を叶えたお話なのに、どうしてタイトルが『The sky I can't reach』なんでしょう?

掴めなかった空、届かない空、そんなネガティブな意味がタイトルに込もっているのは、ニジガクではこの2期9話だけです。

 

これは僕の見解ですが、ミアは今でもあの空には届かないんじゃないかと思います。

「あの空」というのはミアやランジュが作中で手を伸ばした空、2人がずっと到達したいと思っていた領域です。

この曲の中では1番Aメロの最初に出てくる”stars”という言葉がまさにこの"the sky"という表現に重なると思います。

でも、『stars we chase』で歌う"stars"というのは、決して空に浮かぶ遠い遠い存在としての星ではないのです。ずっとそばにあるのに、気づかれないがために静かにくすぶっているような、そんな存在なわけです。

『stars we chase』は遠い存在を掴んだことを歌う歌詞ではなく、今この場所から始めることを歌う曲です。それは"from here we can find"というサビにも表れています。

このアニメのタイトルで言及された"the sky”と、この『stars we chase』の指す"stars"というのは、やはり別物のように思えるのです。

そして、これが別物だからこそ、スクールアイドルという場所から再スタートを切ろうとしている2人の姿が、よりいっそう輝いて見えるのではないでしょうか。

 

・『stars we chase』のもつストーリーについて

これまでのミア・テイラーの曲を振り返ってみると、『I'm still…』は自分自身のことを歌った曲であるのに対して、『Toy doll』は“あなた”に贈る曲として常に聞き手の存在が前提となる歌詞で構成されていました。

これに対して『stars we chase』という曲は、『I'm still…』のような独白から始まったかと思えば、1番Bメロからは突然『Toy doll』のような「誰かに贈る曲」へと変化するのです。

 

こうした歌い手の視点の変化が現れることは決して珍しい訳では無いと思います。ですが、こうした変化に理由を見出すのならば、『stars we chase』の1番Aメロの部分は本来はミアじゃなくてランジュが歌うために作られた曲だったんじゃないかと思うのです。

 

2番では“many things about us are the same”と歌っているように、ミアはランジュのことを自分と同じような境遇だと感じとっていました。だからこそミアはランジュのことを誰よりも分かっていると思っていたし、ランジュのことを一番表現できる曲が作れるという自負がありました。

しかし、ミアがランジュのことを引き留めたいという強い想いを込めた曲を作ったために、いつしかその曲はランジュが歌うよりもミアが歌うべき曲になっていた。ランジュが「これは私の曲じゃない」と感じたときのメロディがそのまま『stars we chase』という曲に変わって、失意のさなかにあるランジュのためにミアがこれを歌う。そんなストーリーが隠れていたら素敵だなと思うのです。

 

おわりに

PVのこととか意匠のこととか、まだまだ書きたいことは沢山あって、正直『stars we chase』の世界はこんなものじゃないぞ!って気持ちでいっぱいなのですが、ついに虹5thの当日ということで、この辺で終わりにしたいと思います。

 

拙い日本語も多くて大変読みづらかったと思いますが、最後まで読んでくださってありがとうございました!

 

『stars we chase』のもつ世界観について少しでも解釈の足しになるところがあれば幸いです。