最近ある本を読んで思ったことがあります、
それは「最近のオタク層と昔のオタクとは行動原理がまるっきり違う」ということ。
別に決して昔のオタクを礼賛しているわけじゃ無く、単に時代の推移でしかないですけど、にしても昔と今のオタクは全然違う。
僕がそう思ったきっかけとなった本は、一時期東大の講師もしていた岡田斗司夫さんというオタクが書いた『オタク学入門』という本。
これは2000年に発売されたという太古の本で、しかも大概にして凡そ常人には理解不能なことが書いてあるのですが(だけどこれが読んでて面白いんだな)、そのなかで1つ考えさせられた文章が
「アニメしか見ないオタクはただのアニメファンだ ~(中略)~ それを深く追求すればするほど、他のオタクジャンルに無関心でいられるはずがない」
「確かにアニメはオタキズムのホームグラウンドだ。だけど、ゲームにも特撮にも洋画にもマンガにもオタク度の高い作品はいっぱいある。で、実はそういった作品は互いにものすごく影響を与え合っている。それをジャンルクロスして見抜き、楽しむのが『オタク的な見方』なのだ」(本書43P)
という主張。
この議論自体の真偽はさておき、真の(2000年当時の)オタクは「1つの作品・媒体それ自体よりも、ジャンルクロスしたメディア間の繋がりの様なものを楽しんでいた」といったことは実に的を射ていると思いました。
というよりも寧ろ、「オタク」と一般的に用いられている言葉から、「マニア」や「ファン」といった余分な意味を取り除いた真の(下位概念としての)「オタク」としての定義こそが、先の文章で書かれたものなのではないか。というのが僕の所感です。
「オタク」:一般的にオタクと呼ばれる人たち。
オタク :特定の作品やジャンルのファンに留まらない、包括的なオタクコンテンツの繋がりを楽しんでいる人たち。
この定義を踏まえた上で、今の「オタク」界隈について考えてみる。
特撮とかアニメとか漫画とかオタク的なものに片っ端から手を出して吟味してジャンルクロスな楽しみ方をしているオタクがいま身の回りにいるかっていうと、あんまりいない。いるにはいるんだけれども。
(ちなみに僕自身もどちらかと言えばオタクじゃない人間に入るんだろうなと思います。「オタク」なのは間違いないんだけど。)
つまり、僕が思うに、本書が書かれた当時の「オタク」と今の「オタク」の違いっていうのは、「オタク」と呼ばれる集団の中での真のオタクの占める割合の違いなんじゃないかというわけです。
すると、従来オタク向けに制作をしてきたオタク企業は、当然売り上げを伸ばすために、大衆派である「オタクではない人々」をメインターゲットに据えて販売戦略を立てるようになる。(主にブシ〇ードとかブ〇ロードとか)
ただ、これをもって
「昔のオタクは良かったんだ、だけど今のオタクは…」
という議論に持っていくのは違いますよね。
こうやってオタク層が変化したのは、オタクコンテンツが広範に普及したこと以上に、オタクコンテンツが大きくなりすぎてジャンルクロスして楽しむ負担が大きくなり過ぎたことが原因だと思います。
だって例えばいま、特撮が気になるから…Vtuberが気になるから…と新たなジャンルに手を出したら、いったいどれだけの時間を犠牲にしなくちゃいけないのか分かったものじゃないですよね。
ならば、太古のオタクの様なジャンルクロス的な楽しみ方をするよりも、自分の好きなジャンル・作品に熱中しよう、という単一指向性がその中で生まれてくるのはまさに「時代の流れ」というべき変化でしょう。
こうやって考えると今のオタク界隈で起きている分化現象って、今の政治とか社会とかで起きている問題と実はあんまり変わんないんじゃないかなぁという風に思ったりします。
あとはラブライブ!とかアイマスとか、或いはブシロードコンテンツの人気の理由ってなんなんだろうな。なんてことをこういう観点から考えても面白いと思います。
以上、大学のレポートを書いている途中に思考が迷走してオタク妄想にふけっていた人間のつぶやきでした。
早く僕はレポートを書きなさい。